めたすらいむの舟

メタル/書評を通じて、ものを書く練習を行っています。原則平日朝更新予定。なお、推理\ミステリ小説のネタバレは書きません。

【ライナーノーツ翻訳】Pain of Salvation / The Perfect Element Part 1 -Anniversary Mix 2020-

Pain of Salvation / The Perfect Element Part 1 -Anniversary Mix 2020-に記載されているDanielとPontus(本作のミキシング担当)のライナーノーツを翻訳します。ベースは機械翻訳で、固有名詞等を手直しした程度なので、精度は高くないです。ご了承ください。

The Perfect Element Pt1 - Original Liner Notes*1

 "The Perfect Element Pt1"は子供時代と青年時代を中心に展開する、2パートで構想されたコンセプトの前半部分にあたる。私たちを個人として形成するものは何なのか?私たちを行動させる(tick)もの、私たちの行動を阻害するもの、他者の行動を阻害するものとは何か?といったものだ。
 したがって、ある意味でこれは古典的な教養小説の体を成しているが、個人の形成における社会的および教育的側面にもう少し焦点を当てていると思う。

 この概念と感情は私たちの生活や他者との関わりに影響されたものではあるが、自伝や実話として見られるべきではないことを強調したい。しかし、哀れみと共感を感じる能力を持っている人なら誰でも、この物語と自分に関連性を見出し、アルバム全体を通して自分自身を認識することができるはずだと信じている。そういった状況に置かれていないような場合であっても、少なくともアルバムが表現する感情のスペクトルによって。

Twenty years later... Or how time flies

 "The Perfect Element Pt1"はいろいろな意味でバンドのサウンドを定義し、後のあらゆるリリースと比較されるアルバムだ。1999年当時においてはこれが危険(Risky)なアルバムだったことを忘れがちだ。今日においても、制作中に最も懐疑的な見方をしたアルバムかもしれない。以前の2枚のアルバムで我々の存在価値を証明していなかったとしたら、このアルバムは作らせてもらえたかも分からない。本作は最初の2枚のアルバム*2とは異なることをやろうとした作品であり、より暗く、より遅く、より反復的だった。ウォール・オブ・サウンド的なアプローチを採用しており、当時我々が位置付けられていたプログレメタルのジャンルとはかけ離れたトピックを扱ってもいた。

 1999年、私と妻のヨハンナはスウェーデンの北部に移ったて、そこで英語・倫理・文学・ジェンダーを学んだが、私たちがそこに引っ越した主な理由はヨハンナが困難な時期を過ごしている身近な人の近くにいたかったからだった。それでも今日、人生におけるそのごく短い期間は非常に特別なものだったと感じている。普段の生活から切り離された時間を過ごすことは、独特の色・匂い・味を齎してくれる。

 私はこれらすべての経験と学び、そして何年にも渡って私の周りにいてくれた多くの人々との関わりをベースに、多くの詩を書き始めた。英語で書いたこの詩のコレクションを"Perfect Element"と呼んでいた。その背景には、私たち全員がバランスを求めた人生を送る-つまり、我々の中に欠けているものや否定された経験がある場合、その後の人生で埋め合わせを希求するように生きるようになる、というアイデアがあった。私は要素の相似を使用した。それは、特に90年代においては非常に明確でよく知られたやりかただったからだった。

 先の2枚のアルバムでは、世界的な紛争、水の消費、戦争産業、原子力、先住民の疎外を扱った。私はより個人的で親密なものに飢えていた。私にとっての詩のヒーローはSimon & Gerfunkelであり、私は常に感情を露わにすることに魅了を感じてきた。そこで、先の詩集をもとに音楽や歌詞を作り始めた。

 詩の中に描いていた人々は、2人の架空のキャラクターに集約されつつあった。それがHE(彼)とSHE(彼女)だ。どちらも幼い頃に重要な感情を奪われ、常にその空虚を隙間を埋めて名状し難いその痛みを和らげようとしながら人生を歩んでいた点は共通するが、二人は全く異なる境遇に置かれていた。彼ら2人が出逢って初めて、彼らの痛みが新たな形を伴って治癒の可能性を見せ始める。

 レコーディングは、作詞作曲と同じように特別なものになった。作詞作曲のプロセスでは自分が孤独だと感じていたとしたら、レコーディングではまったく逆のように感じたものだった。レコーディングの数週間、バンド全員がスタジオ近くの小さなアパートに一緒に住んでいた。私は当時をとても愛おしく振り返ることができる。Frederikは毎朝オートミールを作り、リンゴンベリージャムと一緒に食べていた。私はいつもお茶を淹れていた。アルバムの制作に進むにつれて、どんどん我を忘れた状態になってきて、キッチンでお湯を沸かしているのを、それがカラカラになるまで沸騰しきって金属の匂いがミキシングルームに届くまで完全に忘れていたりした。誰かがミキシングデスクからキッチンに向かって飛び出して、やかんを引き抜いてくれた様子をボーカルブースから見ていた。

 何層もの歌声と楽曲の詳細が表れ始めると、レーベル、マネージメント、エンジニアは安心できたようだった。「アルバムの方向性が分からない」などと私に言い出すこともなく。過去の経験に基づいて、彼らは私を完全に信頼してくれていた。私が最初にアルバムのアイデアを発表したときのバンドメンバーがそうだったように。そして、これこそが、長年の変化に関係なく、このバンドが私にとって常に家族のように感じてきた理由なのだ。私たちがリリースしてきたすべてのアルバムは、はたから見るとちょっとした乱気流のように見えるかもしれないが、私はいつもバンドメンバーからの信頼と温かいサポートだけを感じることができた。その点で私はとても幸運だと言える。

 以来、このアルバムはプログレメタルのボキャブラリーで語られるようになり、教育やエッセイでもそのように使用されてきたが、当時の見地からしても議論の余地なくそうだったとは到底思えない。端的に言って、プログレメタルがそうであるようなサウンドには聞こえなかったし、プログレメタルが通常備えているべき歌詞ではなかった。信じられないかもしれないが、「プログレ」と呼ばれるジャンルには、皮肉なことに、多くの「やらなければならないこと」と「やるべきこと」があるものだ。このアルバムでは、ラップボーカル・性的虐待・はさみで演奏されたスライドギター・ループとサンプル、そして奇妙なボーカルパフォーマンスが...要は「やるべきでないこと」を際限なく重ねられている。私たちは常に新しいものを探していた。私たちはそれまでいつもやっていたこと、そしてずっとやってきたことを、今回もやったに過ぎない。つまり、敢えて「やるべきでないこと」を積み重ねたということだ。

 ここで1つの曲に言及したい。"Ashes"は、我々の最大のヒット曲になった。この曲はちょっとした意地悪で書かれたものだった。当時から、インターネット上にPerpetual Motion Conference Boardという掲示板があった。プログレファンがが、なんというかインテリぶった音楽について話し合う場所で、そんな中に「3コードソングは底辺の音楽」といったスレッドがあった。私はエリート主義や一般化の考えに染まったことはないのだが、これをきっかけに、3つのコードに限定されるだけでなく、曲全体でまったく同じコード進行を持つ曲を書いてやろうと思った。イントロ、ヴァース、ブリッジ、コーラス、ソロ、アウトロ…名の付くすべてのパートにおいて、例外なく同じコード構造を持たせた。それが"Ashes"という曲なんだ。

 次のコードを試してみて欲しい。Am | F | Dm | Dm

 これだけ。1曲通して、これだけなんだ。そして、最も一般的な拍子である4/4拍子以外の何物でもない。この曲からすればAC/DCでさえ複雑すぎると言えるようなものだ。単に自分は証明したかった。馬鹿げたことに思えるかもしれないけど…私はゲームのつもりだった。しかし、この曲はアルバムからのシングルカットになったし、ミュージックビデオも作られた。今ではファン最大の人気曲の1つにさえなっている。しかし、最高だったのはここからで、毎年1年の終わりにPerpetual Motion Conference Boardは投票と表彰をやっているのだけれど、"Ashes"はなんとその年(2000年)のBest Song賞を受賞した。

 TPE1は、それ以来Pain of Salvationのスタンダードとなっている。オリジナルアルバムのレコーディング時にスタジオにいたサウンドエンジニアの1人…当時はまだ若い青年だったが…であるPontusがゼロからリミックスしてくれたのを嬉しく思う。他のエンジニアが家に帰りたがっているような深夜にも、Pontusは我々の行き詰まったレコーディングによく付き合ってくれた。ボーカルマイクの前でヘッドフォンを振っている間にバンドメンバーやエンジニア全員がミキシングルームで叫ぶみたいな、アホみたいなアイデアを試したときも彼は付き合ってくれた(実際それはアルバムに入っている)。端的に言うと、我々はPontusと非常に楽しい時を過ごした。

 私たちは何年にも渡って連絡を取り合っている。ある時、Pontusは私の家で『Panther』の手助けといくらかのフィードバックをくれたんだが、その時棚からTPE1のバックアップCD-Rを見つけて、「ちょっとしたお遊びなんだけど、これの1つか2つの曲をリミックスしてみないか?」と提案してきた。2020年の20周年リミックス企画はそこから動き始めた。新しいミックスを作ることは常に難しいことだが、私とPontusは最初から同じ場所にいた。新しいミックスは、それをやるだけの価値を持たせるために何かを追加する必要があるものだが、オリジナルは基本的にファンの中にもはや独立して存在いるものなので、元の雰囲気を尊重する必要もある。ハリウッドが証明した通り「整形(face-lifting)」は問題のある手法だ。当時のレコーディング機材がギアに制限されることもある。

 最終的には、君がこの古い友人をTPE1だと認めてくれることを願っているけれど、おそらくHE/SHEにいくつかの新しい側面を発見すると思う。それは外科的な整形術ではなく、スパトリートメントやヘアスタイル、慎重で愛情のこもったイメージチェンジだと捉えて欲しい。Pontusがワードローブの中から最高の衣装を見つけてくれたんで、TPE1を記念日のディナーに送りだすことができる。テーブルでお会いできることを願いたい。楽しい夜を過ごしてくれると幸甚だ。これはこのアルバム自身のお祝いであるだけでなくて、君がこのアルバムと一緒に過ごしてくれた20年に対するお祝いでもあるんだ。どうもありがとう。

Daniel

A word from the mixing engineer

 TPE1が作られたとき…当時2000年。私はRoasting House Studioで研修生として働き始めたばかりだった。18歳で、不安・抑うつ・現実や人々との距離感など、非常に難しい日々を送っていたけれど、私にとって重要なのは音楽とクリエイティビティだけだった。私は学校を中退したけれど、スタジオで楽しくやっていた。TPE1は私が最初から最後まで参加した最初の作品であり、それはほとんど宗教的な経験だったとも言える。私はスタジオが大好きだっただけでなく、すぐにPoSとその奇妙な拍子記号の世界、そして風変わりなメロディーの大ファンになった。当然の如く、私は彼らの以前のアルバムにもチャレンジし、それらを完全に理解しようと試みた。振り返ってみると、この初期段階で人生に推進力を与えてくれるような素晴らしい音楽に出会えていなかったら、あのスタジオに長く滞在していなかっただろうなと思う。

 そのほとんど宗教にも似た気持ちは、20年間私の中に残り続けていた。バンドは、テディベアを背負ったジャンプウォーキングスタイルのDanielと、タトゥーに覆われた上半身を常に晒しているLangell(レコーディング中もタトゥーを入れていた)とで、サイコーにナイスな連中だった。他のメンバーはもう少し落ち着いた雰囲気だったけれども。バンドは非常にシリアスな雰囲気であると同時に、とても子供っぽい側面も持っていた。

 私はまだ作業に慣れていなかったので、この時はギターソロとボーカルラインをいくつか録音するくらいのことしかやらなかった。正直なところ、レコーディング機材の前に初めて座ったとき、私は実際にパニックになり、コントロールルームから逃げ出してしまった!
 それはそれとして、"King of Loss"のローファイサウンドには実は私の貢献もあったりして、コントロールルームから「Mother」と叫んでいる(これはヘッドフォンで録音されまたもので、後には"Beyond the Pale"でも使われる手法)。その直前にDanielは「aaaah」パートをやっている。 素材に対してはかなり強い意見も持っていたけれど、高く評価してもらえたと信じている。私の技術的な役割は次のアルバム*3でより大きくなった。

 去年Gildenlow / lggstenの家にいて、その後『Panther』になる曲の検討をしていた時に、TPEが20周年を迎えようとしていることに気づいて、すぐに20周年記念リミックスエディションのアイデアを思いついた。その時は、自分がそれをミックスすることになるとは思っていなかったけれども、これは本当に本当に楽しくてエキサイティングな挑戦だったし、Danielは自由にやらせてくれた。それで、2000年当時のCD-Rに保存されているUsedとThe Perfect Elementのファイルを入手したんだ(思えば、なんて危険な仕事に手を出したことだろう...)。

 ミキシングの過程について。元のオーディオファイルを最新の状態に変換した後、プロジェクト全体が非常に小さく、20トラックしかないことにちょっと驚いた。今日では、70かそこらのチャンネル数が当たり前なんだから。ほとんどのトラックは正常に読み込めたけれども、『Morning on Earth』でいくつかのファイルが破損してしまっていた。最後のコーラスでは、ちょっと妥協しなければならなかったので、シンバルの音が変わって聞こえるかもしれない。ビオラパートは一見完全に壊れているようだったが、どうにか保存することができた。重要なファイルが無事で良かった…。

 最大の問題はボーカルマイクだった。録音のテイクや音のパーツによってチューブの個性が劇的に変化して、ヘッドフォンから聞こえる音がトリッキーだった。"Ashes"の最初のヴァースにおいて、可能な限り多くのノイズを取り除くためにおそらく7回の微調整と再微調整をしたと思う。たくさんのボーカルラインが4つのチャンネルに散らばっていた。また、ほとんどのキーボードパートは1つか2つの全く異なるサウンドのステレオトラックに配置されていて、それが当時の限界だった。
 標準的なプロセスとしては、まずギターを異なる4〜10チャンネルに分割し、ボーカルとキーボードを論理的な「パターン」とチャンネルにグループ化する必要があった。次に、すべてのギターサウンドをイチから作成した。ドラムとベースについては力強いトーンと共鳴感を出すために、低音~中音にかけて大幅にブーストしている。私が唯一触れなかったのは、アルバムのエンディングでフェードアウトしていくループの部分だけで、これだけはオリジナルのままにしておいた。

 新しいミックスについて。『Remedy Lane』と比較して、TPEは少し平坦で、その音楽が完全に表現しきれていないと常々感じていた。ちょっと繊細過ぎるかもしれないけど、それが自分なんだ。リミックスにおける目標は、オリジナルの個性を厳密に維持しながらも、より大きく・深く・明確にすることだった。新しいエディットやドラムサンプルも、驚きの変化もなく、ただオリジナルの魅力を強化したかった。オンライン上のファンのコメントやレビューを読んで、ファンが何を望んでいるかは把握しているつもりだ。『Remedy Lane』と比較して、このアルバムをより面白くするためには、TPE1の先進的な音像のすべての音を独立して詳細化するべきであるということに気づき始めた。それは風変わりなバランスだった。これほど多くのエフェクトを自動化したことなかった。また、ミックスには後のPoSサウンドを少し取り入れることも試みた。特にギターとボーカルでは、もう少し汚らしさ(Dirt)が欲しいと思った。
 自分としては、アルバムは非常にソリッドな作品に仕上がったと思っている。頭を動かし続けた結果として生まれたこの作品を、君が気に入ってくれると幸いだ。

Pontus Lindmark
South Sound Studio September 2020

*1:1999年リリース当時のオリジナルライナーノーツ

*2:Entoropia(1997)とOne Hour By Concrete Lake(1998)の2枚

*3:Remedy Lane(2002)