大江健三郎 / 新しい文学のために
- 作者: 大江健三郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1988/01/20
- メディア: 新書
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大江健三郎 / 新しい文学のために のレビューです。
1.作品を選んだ理由
一橋大学のKODAIRA祭で、書籍の無料配布をしているサークルがあったので、もらってきた!
2.内容
1988年、岩波新書。ギリギリ昭和でまだ冷戦下、氏がノーベル文学賞を受賞する前の作品。「これから積極的に小説や詩を読み、あるいは書こうとする若い人のための文学入門」であるとされている。
内容は、難しいです。文学を読み・解釈し・受け止める、あるいは書き・表現し・伝えることに関する方法論・概念論を全16節に渡って語る内容となっていて、所謂「文学理論」。受験期の論説文読解を思い出すなぁ。自分は"書き手"ではないので、読み手としてなるほどと思った箇所のみ紹介してみたいと思う。
工夫の目的は、ありふれた日常的な言葉の、汚れ・倉びれをいかに洗い流し、仕立て直して、その言葉を、人間が今発見したばかりででもあるかのように新しくすること。いかに見慣れない、不思議なものとするか、ということだ。すなわちそれが、言葉を「異化」することである。
ここでは俵万智の『サラダ記念日』を例に挙げていたが、現代では文学に限らずこういった言葉の再構築ってある気がする。語感だけを目的として全然違う意味でつかわれるケースが多いかもしれないけど。マジ卍的な。
新しく読む本について、誰もが「期待の地平」を抱き、読みながら、ほとんど自然派生的に、批評の言葉を湧き起らせる。その批評の成立には、眼の前の本との比較の対象があるはずで、それを読む中心軸をなすモデル、とみなすのである。~しかもそのモデルは、次々に読む新しい本から受けとめるものを重ね塗りして、複雑化され、多層的になってゆく。
これは、読み手としての自分に今まさに発生しかけていることだなぁ。
と、ほんの一部だが、こんな感じの内容。論展開において様々な作品に言及されるが、その中でもディケンズとドストエフスキーは読んでみたくなったな。
3.感想/評価(★の5段階)
★★★--
本そのものではなく、自身の理解力によるものだと考えているが、この手の文学論の書籍を読むのは初めてで、なかなか通読が大変な本だった。あと、読点やダッシュ「―」が頻出するのでちょっと読みづらかったという話もある。
4.どのような人に推奨するか
読書をする人ならだれでも読んでみてよいと思える本。ただ、書く上での方法論も多いので、物書きの人により推奨、かな。